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shinoのときどき日記


2010年10月10日(Sun)

毎日、ディボーションガイドの「Clay」というテキスト(月刊誌)を読んで、 聖書を読んでいる。と、言っても、たまに忙しいと数ヶ月単位でお休みしちゃうこともあるのだけど。

「Clay」を紹介する前に、なぜ、わたしが「Clay」を知ったかというと、 2002年前後かなぁ。まだその頃、わたしは教会よりも、 ウェブで日記を書いているクリスチャンとの交わりの方が多かった。 そんなクリスチャンのお友達の一人が、 ディボーションをやっていてとても良いということを日記に書いてたんですね。

ディボーション?何それ?? というくらいに、その頃のわたしはモノを知らなくて。 「ディボーションってなぁに?」くらいの素朴な気持ちで質問したんだっけかなぁ。 ちょっとよく覚えていないんだけれど。

そうしたら、凄い勢いで、そのお友達が 「毎日、聖書を読むことよ。通読とは違ってね、聖書の短い箇所と、 その箇所を説き明かしているメッセージがあってね、 それで、御言が、神さまが自分が何を問いかけられているか考えるの」 というような説明をしてくれて(記憶がうろ覚えなので、この通りの説明ってわけではなかったかもしれない)、 次にオフで会う時に、 なんと、「これ!毎日ディボーションするのって、すっごく良いの!ぜひ読んでみて!」と 実物をわざわざ余分に買っておいて、わたしにくれたのだった。

(それにしても、すごいね。 求めたときに、パッと捉えて、捕まえる、その勢い。すばらしいと思う。 相手がクリスチャンであろうがなかろうが、もっともっとと神さまを求めようとする人に ヘルプを送る力ってのは、わたしはクリスチャンになって11年になるけれど、 まだまだ身についてません…)。

それが「Clay」。その時から、今に渡って、7,8年、わたしはディボーションは「Clay」で続けている。 このテキストは、聖書の箇所と解説の他、ノートを書くページが毎日一ページ分ずつ、 ついているのです。 構成的には、一日4ページで、1ページ目が祈りと聖書の箇所が書いてあって、 2ページ目がノート。3、4ページに解説があって、4ページ目にはちょっとしたコラムがついている。 いまちょっと検索してみたら、ここにサンプルがありました。

で。

ノートは、「精読・解釈・適用・祈り」を書きましょうというようなことが書いてあります。 このね、適用がぜんぜんわからんかったのだ。

精読・解釈・祈りは、わからないでもない。 精読だったら、わからない単語について調べてみるとか、 その箇所を実際の聖書を開いて、他に関連する箇所はあるか調べてみるとか、 そういう知識的な勉強を書けばいい。 解釈は、精読を通して学んだことを筋道をつけて書けばいい。 というところは予測できるけれど、それだって難しい。わたしは書いてない。

適用は、テキストにはこう書いてある。 「その日に学んだ内容を、実生活に適用できるように、ノートに書き出してみましょう」。

しかし、「適用」の意味も、適用するということも、ぜんぜん、わからず…。 ほんっと、わからないままに、ノートを書かずに何年も、なんだか座りが悪いような状態のまま 過ごしてきていたのだった。なんという適当。

「適用」で辞書を引くと、「適用とは、法律や原理や規則をあてはめて用いること」と書いてあるんだけれど、 適用するには、聖書の原則を知らないとダメなんですよね。 一貫した聖書の原則。 それが、肌身に染みつくくらいにわかってないとできない。 いや、センスがある人はできるのかもしれないけれど。

例えば、法律を考えた時に、普段、みんな法律を意識して生活をしているわけではないですよね。 法律の専門家という人たちや、ある特定の分野に特化してお金を稼いでいる人は、 その法律を熟知して、それを現実に適用して問題を解決している。 なんで専門家という人が法律でお金を稼げるかというと、 普通の人は、法律を適用して問題を解決する力がないから、 わざわざお金を出して、法律を知るんじゃなくて、 法律を自分が有利になるように適用させることのできる専門家を雇うのですよね。

「適用」というのは、じつはすんごく難しいことなんじゃないかと思います。 一つ目は、ルールや法律や原則といった事柄を知っていること。 二つ目は、そのルールや法律や原則を、現実にあてはめること。 三つ目は、「適用」と言ったときには、法律や原則を用いることによって、単純に現実がこうであると知るんじゃなくて、そこに問題があって、それを解決することが、暗黙に求められていると思う。 「適用」というのはこの三つが求められるから、すんごく難しい。

ところが、今日、礼拝のメッセージの取り次ぎ(説教)を聞いてて、 ぽろっと、「適用」がわかった。メモと記憶の限りにその時の説教を書き起こすと、こうです。

鶴田浩二という役者さんが、昔、いましてね。

この人が、歌を歌う前に、ちょっとした台詞を読むんですよ。

かっこいいんですよねぇ。それが。

ちょっと恥ずかしいですけれど、真似してみましょう。

「古い奴だとお思いでしょうが、

古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。

どこに新しいものがございましょう。」

これをですね、キリストを信じるわたしが適用するなら、こうなります。

「愛がない奴だとお思いでしょうが、

愛がない奴ほど愛を求めるものなのです。

どこに愛がございましょう」

えっ。

適用って。

適用って、書き換えなの?!

適用って、書き換えだったのか!

(つづきます)。"'}}


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