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shinoのときどき日記


2010年01月07日(Thu)

ナラティビティとWiki

yomoyomoさんの日記経由で知ったさやわか × ばるぼら~対談:2000年代におけるインターネットの話 【後編】 - WEBスナイパーに、興味深いことが書いてあった。

つい先日、twitterのログを拾い集めてまとめるTogetterをはじめたことを日記に書いた時に、「これって一種のWikiだと思う」ということを書いたのだけど、さらにそれを深める考察がさわやかさんという方がしてらした。

さやわか:サービスの中では、おそらくいま一番注目されているものの一つであるTwitterとかも、僕はゼロ年代後半の個人による編集能力の拡大という視点で語れるんじゃないのかなと思ってるんですけどね。

ばるぼら:最近、まとめるサイトができたじゃないですか。

さやわか:「Togetter」とかね。あんなのがまさにそうだと思うんです。Twitterでは文脈をユーザーが個別に作り出さないといけないという需要があるからこそ、ああいうサービスが登場するわけですよね。ユーザー同士が文脈を作ると言えばWikiなんかは古くからあるけど、個人がサービス上でどう面白いことをやろうかというムードになってないゼロ年代の前半にはなかなか根付かなかった。でも今なら成り立つんですよね。みんな違和感なくWikiを編集するようになっている。たとえばゲームの攻略サイトとかは当たり前のようにWikiで作られるようになりましたよね。炎上なんかのまとめサイトも、昔は誰か一人がまとめて他の人がありがたがっていたのが、今はWikiになっている。

[さやわか × ばるぼら~対談:2000年代におけるインターネットの話 【後編】より引用]

ゼロ年代前半に根付かなかったけれど、いまWikiが根付くのはゼロ年代後半の編集能力の拡大という視点があるのか。

ここで初めて「ナラビリティ」という言葉を知ったんだけど、narrative(物語)の活用のひとつみたい。で、この対談でおもしろいなと思ったのは、「ユーザー同士が文脈を作ると言えばWikiなんかは古くからあるけど」と、ナラビリティのツールとしてWikiを定義づけているところだと思う。

さやわか:著作権に対する意識が軽くなったのと同時に起こっていることかもしれないですが、他人が書いたものと自分が書いたものが一緒くたになってしまうということに対する意識も軽くなっているんですよね。集合知というよりは、自分が書いた部分は他人に差し出すし、他人が書いた部分は勝手に改変していいんだみたいな野蛮さ。

[さやわか × ばるぼら~対談:2000年代におけるインターネットの話 【後編】より引用]

ばるぼら:(略)そういう、データベースに単純には収録・格納できないデータ、文脈みたいなものを、いかに捉えるか、人に見える形にしていくかというのは、近年の方向性のような気がします。

[さやわか × ばるぼら~対談:2000年代におけるインターネットの話 【後編】より引用]

これって、tumblrだと思うな。tumblrがWiki的だとわたしはひとりで言い張っているのだけれど、もしかしたら、ナラビリティをキーワードにつなげられるかなぁ。

と、もやもやと考えるままに、とりあえず、メモ。


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