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shinoのときどき日記


2010年08月17日(Tue)

「これも自分と認めざるをえない展」とジュンク堂と松丸本舗へ行ってきました。

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@yucoさんと待ち合わせして、21_21 DESIGN SIGHT-「これも自分と認めざるをえない展」へゆき、その後、ランチして、池袋へ移動、ジュンク堂を見てから、yucoさんとは別れて、松丸本舗へゆき、銀座のOギャラリーへ行って、ギャラリースタッフの旧知のO嬢と突発的夕餉の会をしました。ディープな一日!*1

21_21 DESIGN SIGHT-「これも自分と認めざるをえない展」

ディレクターの佐藤雅彦氏のblogに“これも自分と認めざるをえない” 展 の見方があるのですが、そこに書いてあるように、ひとりひとり体験型の展示が多いため、開場くらいに着いた方が、効率よく見て回れます。一つの展示を観賞するのに、2分~5分かかることもあるため、数人待っているだけで、10分、20分の待ちになります。

まだ会期中なので、感想はネタばれになってしまうので、今回は避けますが、おもしろかったです。

ジュンク堂書店 池袋本店

今回は4F歴史・宗教・哲学・思想・教育・心理、6F コンピュータ・医書を中心に見て回りました。6Fのコンピュータ書籍コーナーには見覚えのあるお名前のPOPがたくさんあって、壮観でした。特にRubyコーナー。

本がたくさんあるって、それだけで癒されますね。すばらしいな。

松丸本舗

松岡正剛氏プロデュースの本屋さん、松丸本舗、一回、行ってみたいと思っていて、ついに足を踏み入れられました。なんと、ちょうど、松岡正剛氏ご本人がなぜかフロアに居て、びっくり。それまでは、本の並びをみてにやにやしてたのに、ご本人を見たあとは動転して、冷静に本棚を見ることができなくなってしまったのは、なんというか…。

最近はウェブの有名人は講演会やイベントなどでよく見かけていたので、有名人を見てもそこまで動転することはないと思ってたのですが、わたしの中では松岡氏は学生時代(高校生ごろ?)から読んでて書籍メディアの方だという認識が強く、なんというか、なんというか、自分の中で、かなりリスペクトしている人なのだ、ということを、認めざるをえなかったです…。これも自分です。うみゅー。

Oギャラリー

Oギャラリーでは、松山直子展がよかったです。岩絵具を使った日本画要素のあるモダンな絵が好きな自分も再確認しました。

Tags: 近況

*1 投稿してから気づいたが、日記の日付が8/17ですが、行ったのは8/16です。帰宅して深夜0時過ぎに投稿したので、日付がづれてしまいました。

なぜわたしは松丸本舗で松岡正剛氏を見て衝撃を受けてしまったか。

松丸本舗へ行ったとき、松岡正剛氏を生で見て、すごい衝撃を受けてしまい、その後、書架を見ることができなくなってしまったわたしだが、少し冷静になって、それを考えてみた。

考えてみるまでもなく、一つ目の理由としては、自分が松岡氏のファンだったというのもあるのだが、もう一つの理由は、松丸本舗という強烈な空間の中でまさにそのセンターである存在を見た、ということだと思う。

松丸本舗の書架は、いわゆる本屋や図書館とは異なり、直線ではなく、ぐるぐると螺旋か迷路のように巻かれた構成で、ほぼ360度、人の周りに書架が並び、さらに本の置き方も立てて並べたり平面に置かれているのではなく、背表紙を目線にあわせて積み上げられる構成だ。

これは、境界が複雑に入り組みあい、人の意識を日常から非日常、つまり、異界に誘いやすい構成と言える。

その異界空間のセンターは、もちろん、その空間をプロデュースしている松岡氏ご自身で、ただ、通常は、センターというのは隠されている。なぜなら、そのセンターを目の当たりにしたら、人は死んでしまうからだ。死んでしまうというのは、もちろん、比喩だが、比喩でない部分もある。

(センターを見たら死んでしまうというのは、神話や聖書の中では、普遍的に用いられているモチーフだが、それは畏敬という言葉でも置き換えられるだろう)。

わたしは松丸本舗に足を踏み入れ、ぐるぐると書架をめぐり、そして、最後の地点で松岡氏を目撃し、その後、書架を、本を見ることができなくなってしまったというのは、もう、これは必然なのだ。

Tags: 雑文

WikiとWikiばなについて考えている。

最近、Wikiばなについて考えていた。なぜ、第六回までのWikiばなと、第七回以降のWikiばなは、かくも違うものであるのだろうか。わたしが今後、Wikiばなを続ける意味はあるのだろうか。

第六回までのWikiばなと第七回以降のWikiばなは、形式が大きく異なる。第六回まではワールドカフェ風に、参加者全員がテーマについてポジションペーパーを発表し、小グループでディスカッションをするという形式だった。第七回以降のWikiばなは、登壇形式でひとりの人が話、大勢の人がその話を聞くという形式だ。

このような形式の違いがでてきたのは、さまざまな要因があるのだが、ひとつ、大きな実感としてあるのは次のようなことだ。

「リアルイベント開催のためのウェブサービス利用のコツ」で書いたように、WikiばなはWikiそのものをターゲットにしていて、第六回までに集ってきていたのはWiki開発者や、Wikiそのものが何であるかを考える人たちだった。

この人々の周りにはコミュニティがあって、Wikiそのものについて考えるコミュニティがいくつかあったという風にも言える。第六回までのWikiばなは、いわば、そうしたWikiコミュニティのハブ(中継点)だったという側面が大きいように思う。

Wikiばなそのものがコミュニティをおおっぴらに築かず、比較的、ひっそり(?)とやってきたのは、中継点自体は通路であって、コミュニティではないという考えが、その背後にある。(なので、WikiばなMLは、Wikiばな自体を開催するためのしごく運用的に必要なメールのみを流すようにしてきている。今後どうなるかはわかりませんが)。

しかし、わたしの感覚としては、第六回(2007年)以前の2006年頃に、いくつかあったWikiコミュニティが喪失した。その象徴として、第六回は「失敗Wiki/さびれWiki」がテーマだったのだと、今にして、思う。

その後は幸運にも、Wikiそのものが何であるかを大きく示唆した『パターン、Wiki、XP』が出てきて、何回かのWikiばなを開催できたのだけれど、しかし、依然としてWikiを巡るコミュニティは失われたままで、ハブとしての機能が失われ、わたしは、いま、やや、途方に暮れている。みんな、どこに行ってしまったんだよ。twitterにすら、いないんだよ。もしかしたら、ウェブにもいないのかもしれない。

もう少し、Wikiばなから離れ、Wikiとは何かについて、考えていることを記してみる。

Wikiというのは、「いっしょにやる」ためのツールだ。いっしょにやるための、ひとりひとりの行動指針として、「誰もが自由に編集できる」というキャッチフレーズがある。これは、ひとりひとりに対して示された指針だ。

しかし、Wikiで一緒にやるためには、じつは、この指針だけでは足りない。「いっしょにやる」ためには、もっとメタなところで、オーガナイズ(組織生成、組織化)する何かが必要になる。

わたしはまだ、Wikiには、このオーガナイズに関する議論が足りてないと思う。

先日、C2Wikiを見ていたら、じつは、「collaboration」を含むタイトルが21ページに比べ、「organization」を含むタイトルが47ページもあった。じつはコラボレーション以上に、オーガナイズの方が、C2Wikiでは活発に議論されているということを示唆していると思う(まだ個々のページ詳細を見てないので、これは予想)。

また、先日、NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: コミュニティを開発して、エコシステムをつくる!? : 変化する学習研究のあり方を読んでいたら、次のようなことが書かれていた。

「何かを開発したら、それに関係する人々のコミュニティも開発する。そして、開発物とコミュニティのセットを"エコシステム"とよぶ」

[NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: コミュニティを開発して、エコシステムをつくる!? : 変化する学習研究のあり方より引用]

「コミュニティの開発」は全くなされていないわけではありませんが、多くの場合、「普及」というラベルが打たれて、それは「研究にはならない」としてあまり重視されませんでした。「あの人は"研究"ではなく"運動"をやっている」というネガティブなラベリングも、なされることがありました。

 かくして、「開発物を使う人」は見いだされぬまま、もちろん、「コミュニティ」は開発されぬまま、次の開発物、次の新たなコンセプトの創造に向かうパターンが多いように思います。」

[NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: コミュニティを開発して、エコシステムをつくる!? : 変化する学習研究のあり方より引用]

まだよく見えていないけど、Wikiにおいても、コミュニティの生成論としてオーガナイズの議論はまだまだ余地があるように思える。

ただ、ひとつ注意しなくてはならないのですが、もうすでに単体のエンジンや単体のウェブサービスのみに完結したコミュニティの時代は終わっている。それは「リアルイベント開催のためのウェブサービス利用のコツ」でも示したとおりだ。だから余計に難しい。

Wikiの利用もWiki単体だけで見るべき問題と、複数のウェブサービスとの連携でみる問題があり、また、Wikiを利用するためのオーガナイズの議論が必要だ。「誰でも自由に編集できる」というキャッチフレーズのもとでは、Wikiを使うために必要な議論は、思考停止に陥ってしまう。

ということを考えて、twitterで断片をつぶやいていたら、結城浩さんにこう言われた。

うーん。しばらく、ひとりでここら辺を勉強しながら、ぶつぶつtwitterやこの日記に書いて行くしかないですね。

Tags: Wikiばな

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